札幌酒精歴史館


経営発展期【焼酎乙類製造免許の取得】

創業40周年を迎えた、昭和48年にはアメリカ本土よりウイスキーの時代からウォッカ・ジンなどの「ホワイトリカー」の時代到来という蒸留酒業界にとっての朗報が報道され始めます。しかし同年秋に勃発した中東戦争に端を発したオイルショックにより国内消費者物価は21.8%アップという「狂乱物価」が起こります。この国際的インフレにより、とどまるところを知らない主原料の価格アップと消費低迷により当社主力商品の販売高は軒並みダウンいたしました。さらに国内経済は高度成長経済から低成長経済への転換期を迎え産業界は需要の停滞により減産、あるいは雇用の調整等非常に厳しい状況が続きます。
 昭和52年に入り、かねてマスコミ間で話題とされていた「白色ブーム」に呼応して続けられていた業界各メーカーの新製品開発の努力により同年3月、当時のホワイトリカー市場に現れたニューリカータイプが続々と市場に投入されました。当初は35度製品に集中していたこれらの製品が20度製品としてブラッシュアップされるに至り、いわゆる「ホワイトリカーブーム」時代が到来します。他社メーカーの販売量が急激に伸びるという状況下、当社もニューリカー製品の混和用として乙類焼酎製造は不可欠との判断から、昭和53年12月免許を取得。ポットスチル(単式蒸留機)を新設にともない早速、開発研究委員会を設置して具体的な開発をすすめ昭和56年6月より「サッポロハイソフト」を発売します。この乙類焼酎製造への取り組みは、この後、当社創立50周年記念事業の一環として昭和58年7月より札幌地区周辺および東京都内への地域限定販売としてスタートした「さっぽろとうきび焼酎」の発売をはじめとする北海道特産物を原料とする様々な本格焼酎開発への大きな足がかりとなってゆくのでした。