札幌酒精歴史館


経営基盤確立期【平和産業としての経営】

 創業時札幌市周辺にて焼酎製造業を操業するにあたり「札幌焼酎株式会社」と定めた社名も、10有余年の歳月とともに事業内容も「焼酎」のほか「合成清酒」「ウイスキー」「甘味果実酒」「本味醂」「白酒」「原料アルコール」などと大幅に拡大されていました。そこで、将来的な飛躍発展の期待を込め昭和20年1月をもって現在の「札幌酒精工業株式会社」に社名を変更しています。
 昭和20年、第2次世界大戦の終戦を迎えました。急激な物資不足で生産に必要な原料及び資材の入手が困難な状況にありました。さらに米作の大凶作が重なり未曾有の食糧難で、当社の原料である甘藷、馬鈴薯、澱粉などは常食に向けられ、価格高騰により酒精原料として入手する事は全く不可能な状況から生産計画が皆目見通しの立たない状態でありました。流通市場では酒類の不足から様々な社会問題も発生しました。酒類不足を補うため工業用、医薬用エチルアルコールが出回り飲用されていましたが、闇屋などがこの酒類不足に乗じ燃料用のメチルアルコールを市場に出したため飲用して失明したり無惨に一命を失う者がいて社会問題になり、[エチルで酒不足緩和][“冥土の酒”にご注意]など新聞記事に衝撃的な見出しが並んでいます。その後、昭和23年に入り豊作に恵まれ食糧難も峠を越しましたが依然続く燃料と物価のインフレによる原価高による苦しい経営が続きました。
 昭和24年には流通機構の転機も訪れました。酒類配給公団が廃止され「卸売業者」という卸機関が設けられ自由販売に移行します。また、戦時中なかば強制的に企業合同した清酒メーカーが分離復活するに至り、昭和27年頃には清酒が全国的に大幅に出回っていたほか、ビールメーカーも本格的な増産体制に入り焼酎・合成清酒の消費量は減少の一途をたどります。特に酒類自由化直後の製品は「札幌焼酎」の銘柄で販売していましたが、当時の原料は甘藷・馬鈴薯・澱粉粉・とうもろこしなどを使用していたため品質管理面での問題を抱えておりました。こうしたなか同市内の酒造メーカーが製造した「粕とり焼酎」が、同社と同じ「札幌焼酎」の銘柄を使用して販売していたため品質に問題ありとの理由で大手小売業者を通じて当社に返品されるという事件が起こりました。このような状況を踏まえ、一層の品質向上に全力を注ぐとともに銘柄力の強化による当社製品の定着をはかる販売努力が続けられました。